97歳のknitter のジレンマ

97歳になる友人の友人はいまだに現役のニッターです。複雑なパターンは避けていますが、施設などに送るブランケットを自分のペースでいくつも編みあげていきます。加齢により目も悪くなってしまい、指も痛い日があるので彼女が使う毛糸は並太くらいの太さであまり撚りが弱くないものを選んでいます。ブランケットですから編むに連れて重さも増してきますよね。

97歳なので自分で車は運転しません。だから、糸が足りなくなると友人に連絡が入り、彼女が調達に走り毛糸を届けるそうです。

97歳の彼女が今抱えているジレンマは、孫からもらった毛糸をどうしようかということ。

編み物をこよなく愛する祖母のために孫はクリスマスプレゼントに毛糸を送りました。ただ、孫は全く編み物をしないのでどういう糸を祖母が使っているか、どういう糸が編みやすいかなどの知識がまったくなく、極太よりも太い糸、それからふわふわして撚りが甘い糸をプレゼントしたんですね。太いほうが見やすいだろうという孫の気持ちももちろんわかりますが、太すぎると針も自ずから太くなり指が痛いときにはとても使えません。また、ふわふわした糸だと目が悪いために撚りの間に針を入れてしまう可能性も高くなります。

かといってせっかくのプレゼントだから無駄にしたくないし、出来上がった作品を孫に見せたいという彼女の気持ち。とってもよくわかるんです。

だから、「糸、今度持ってきて。私、編むの手伝う。他の人たちだってきっと喜んで協力すると思うし。そうすれば、出来上がった作品の写真を撮って孫にも見せられるじゃない」と言いました。友人もそれは考えていたようで、

「わかった、来週持ってくるからお願いね。」

97歳になっても「編みたい」という意欲を持ち続けられるというのは素晴らしいです。しかも、他の誰かのためになっているんですもの。見習わなくてはなりません。

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私が死んだら...

縁起でもないタイトルになってしまいました。しかし、高齢の方達のお話を聞いていると、いつかは必ず自分に来るもの、と考えさせられます。

私はお会いしたこともない方が先日お亡くなりになりました。亡くなる前に、「私が死んだら自分が使い切れなかった毛糸、生地などをガレージセールで売ってね」という遺言を残したそうです。どのように処理したらよいか途方にくれたご主人様が奥様の親しかった人たちに連絡をとり、彼女たちが集まり太さ、素材によって分別し値段の札も全部つけてガレージセールの準備をしたのですって。

半分、誇張かなぁと思って聞いていましたが、12畳くらいの部屋いっぱいの毛糸を見てみんな、驚いたそうです。そして、さらに困ったことに、遺言の中に「毛糸を一玉5ドルくらいで売ってほしい」とあったらしく、それを聞いた編み物仲間は「困ったねぇ。5ドルでなんか売れない。どんなによい素材のものでも古いものだからねぇ」と...ご主人と相談し、とにかく全部売れることを目標に値札をつけることにしたのですって。

ガレージセールがどうなったかはわかりません。でも、皆、口々に言います。

「私が溜め込んだ毛糸を見たら、主人が心臓マヒを起こすかもしれない」
「大量の毛糸を残しては死ねない。娘に怒鳴られそうだし」

モノをムダにしない、捨てられない、と年齢の高い方達が思われるのは国に関係ないようです。

「数十年前に買って、とても編みにくくて使わないであろう毛糸も捨てられない...それにしても質が悪かったねぇ」
「とても貧しい時代を生きてきたから使えるものを捨てるのはつらいのよ」

そうなのでしょうねぇ... 「消費大国アメリカ」と言われますが、皆が皆そういうわけではないんです。

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「年だから」は禁句

息子に少し前に言われました。

「年だから」は単なる言い訳。年齢による衰えは誰にでもあるもので、それをどう克服するかはそれぞれのがんばり」

反発する心もありながら、実はすごく的を得ている言葉でもあるとつくづく感じている私です。

目が悪くなり、指先がこわばったり、数えているつもりが何か別のことを考えてしまったり、ま、そういうことは少しずつですが増えてきました。でも、「年だから」といってがんばりをやめてしまったら前に進みませんものね。

本当に好きなら、がんばる気持ちを持っていたらそれなりに努力をすることはできます。

もちろん、高齢者をいたわる気持ちは大切。だからといって手を差し伸べてばかりでは努力の目をつむ可能性も。あ、これって誰にでも言えることかな。小さい子供に「危ないよ」「ダメよ」「私がしてあげる」と先回りして何かをしてしまっては子供もやってもらいなれてしまい自分で考えて行動できない人に成長していきますよね。

自分ができることとできないことの境目.また、他の人に手を差し伸べるべきか、いや、ここは我慢してもう少し相手のがんばりをひきだすべきか、そこをどう見極めるかすごくむずかしい。子供が泣き叫ぶからうるさいから親がやってしまってよいものか.「できないから、やって」という人にどこまでしてあげるべきか。悩ましいですね。

「太い糸はもう思いから細い糸でしか編めないわ。」
「色が濃い毛糸は暗がりで見づらいから淡めの色の毛糸ばっかり選んじゃうのよ」
「前ほど複雑なパターンは編めないけれど、まだまだ簡単なものは編めるわ」

自分ができることをいっしょうけんめいやっている人たちに私は囲まれて、お手本にさせてもらっています。80歳を超えても車を運転して編み物の会にやってきて、ゆっくりでも作品を完成していく彼女たちを見ていると間違っても「年だから」という言葉はおそらくずっと使えないでしょう。

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