無理に使わなくてもいい

編み物、パッチワーク、洋裁、ビーズ、いろいろ手作りの趣味をお持ちの方はついつい買い込んでしまって、材料の在庫が山積みになるなんていう経験ありませんか? 買った時は絶対にこれが欲しい! とか、⚪️⚪️を作るために買っておこうなんててにとったものの時間が経つにつれて忘れてしまったり… よくあることですよね。

お金をかけて買ったのだから、使わないなんてもったいない、申し訳ない、と思うことがよくあって引っ越すたびに一緒に移動してきたものたちですが、いろいろ考えておそらく編まないであろう糸たちは寄付することにしました。自分が抱えていて使わないなら、誰かに使ってもらった方がいいに決まっていますし、楽しくなく編み物をするのは何か間違っているように思うんです。

どの毛糸とサヨナラができるかわかりません。でも、少し減らそうと思います。そうしないと私に何かがあったときに子供達が愕然としそうですから(笑)

そんなことを考えていたら、今日、つねに一つのものしか編まない友人に言われました。

「あなたが、幾つものプロジェクトを抱えているという話を聞いて、考えたのよ。それも悪くないなって。今まで、一つのものが終わるまで次のものは始めない、と決めていたから誰かが編んでいたものがどんなに素敵であってもそれを始めることはしなかったのよね。でも、それじゃ、せっかくの編み物会の楽しみを私は味わっていないな、と思ったのよね。だから、一つとは決めないで「あれステキ!」と思ったらやり始めてみようと思うの。必ずしも編み始めたものが全部気にいるとは限らないじゃない。苦痛になっている時だってないわけじゃないんだもの」

いいこと言うじゃない。と思った私は

「プロジェクトバッグが必要よ。それぞれの編みかけのものをちゃんと巾着袋にしまっておかなくちゃね。パターンと一緒に」と言っておきました。そうしないとわけわからなくなりますからね。

そう、人生、楽しめる時に楽しむのがいいんですよ。自分に「こうあるべきだ」と課すのはもうやめましょう。

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編み物仲間と小旅行

ポートランドまでの列車の旅を計画していました。ところがです、ここのところの大雨が影響して線路の途中で土砂崩れが起こり、電車は通行止め。バスで人々を輸送する予定があり、そのバスがシアトルに来るのは夜の6時。私たちは朝の9時にそれを知りました。バスが6時定刻にくるとは想像できずまた、来たとしても定員以上の人が待っているかもしれないし、どうしよう。

すると、仲間の一人が 「車で行こう。私が運転する」 すると、もう一人が「道は私に任せて」と、あれよあれよという間に車に荷物が積み込まれ私たちも同じように車内に乗り込み、出発。ハイウェイを通ると混むから裏道から行くからね。という言葉に後ろに乗っている私たち3人は「はーい」

約1時間半走ったっところで一人が、

「近くに毛糸屋さんがあるのだけれど、寄っていかない?」

編み物仲間ですよ。反対する人なんていません。みんな、編み物の手を休めて、毛糸屋さんの看板を目をさらにして探します。「あった。その先左」と声が飛ぶやら「あの対向車が行ったら左ね」と皆の心は毛糸屋さんへ。

なかなか素敵な毛糸屋さんにみんな感激。アレヤコレヤ買い込んでいるうちにあっという間に1時間。これはいけない。先に進まなくては。と皆で乗り込んで旅行が続きます。

途中で大雨に降られたりしましたが、賑やかに、穏やかに、楽しく、ポートランドまで5時間かけてやって来たのでした。

部屋に入って休んだのもつかの間、「ホテルの近所の毛糸屋さんいかない?」 という連絡がまわり、おそらくうたた寝をしていただろう一人を除いて皆で出発。まぁ、みんなエネルギッシュです。

同じ趣味を共有する友人との旅行は楽しいですね。明日は一体どんなことになるのやら。

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“A beautiful Shawl!”が挨拶

まぁ、素敵なショールを身につけている、可愛い帽子をかぶっている人、手が込んだジャケットを着ている人、とにかく見ていて目の保養となったMadrona Fiber Arts でした。

“What a beautiful shawl that you are wearing!”
“What is the pattern?”
“Which yarn did you use?”

などなど編み物を愛する人たちの “Hello!”, “How are you?” にとってかわった挨拶となりました。

これらの言葉であっという間に話が始まり、いろいろな方向へと話が発展していきました。

自分が編んだことがあるものでも全く違った色合いとか、糸の太さで編まれたものではまるで自分が使ったパターンとは思えない出来上がりになります。

また、すごく素敵なショールをしている人にパターンの名前を聞いて後で調べてみたら、ずっと前に自分が編もうとしていたのにすっかり忘れていたパターンだったなんてこともありました。

「あらあら、編みたいものがたくさんあるものだからつい忘れちゃうのよね」と同じ経験をしている人たちは笑います。

そんな会話をしているときに、ソックスの話になりました。ソックスは小さいから旅行に持っていくのはぴったりのプロジェクトです。しかし、同席していた女性が真面目な顔して

「私の主人の足はサイズが30なのよ。とても編む気にはなれないわ」

これには大爆笑。日本人の男性は大きくても26か27ですものね。それでも男性のソックスを編むには時間がかかるというのにサイズが30なんて。

それにしてもみんなの編み物に対する執念というのはすごいものがありました。楽しかったですよ。そういう人たちに囲まれていた数日は。

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ゲージと選ぶ毛糸

セーターなど、首から入って袖を通してお腹を隠してという目的がある衣類はちゃんとゲージをとってスワッチをしないと「やっとできたぁ〜」という達成感から一挙に「え〜、これ、ゆるすぎる」「小さすぎる」「丈が短い」などなど、落胆のどん底へと転がりこむ可能性が大です。

しかし、ショール、カウルなど、まぁ、少し大きくてもなんとかなるわ、という類のものはそこまでゲージにこだわる必要はないと思ってます。

たとえば、ショールのパターンのゲージがサイズ4の針で10センチ20目としますよね。自分が持っている糸はサイズ4で10センチ22目のゲージとなってしまった。さて、どうしよう? と悩みます。ショールですから、そこまでゲージにこだわることはありません。針を1サイズ上にしてサイズ5で編むと20目になるかもしれませんから、これは一つの解決法です。

ここでですね、パターンの写真を見たり、他の人の作品をパラパラ観察して「自分はもう少しふんわり感があるショールの方がいいかしら?」と思うかもしれないですよね。こうなるとますます針のサイズを一つ上にしたくなります。

逆に、他の人たちの出来上がりのショールが「うーん、ゆるゆるしていて私の好みじゃないわ」と思ったら、ゲージ22目でも、もしかしたらサイズ4のままで続行するのがいいかもしれません。

ゲージのゆるさだけならいいんです。さらに、「ドレープがあるショールにしたいわ」となると、これまた違ってきます。たちかにゆるめに編んだ方がふんわり感は出ます。でも、ふんわりしているからドレープ感があるとは限りません。ゆるく編めば重さで引っ張られるでしょうが、それとドレープ感、肩を優しく包んでくれる感触とは同じではありません。

ゲージがぴったりだったたとしても、自分が想像している出来上がり感を出してくれるのはやはり毛糸の素材なんですよ。アルパカはとてもきれいなドレープを見せてくれます。ウール100%でも、紡ぎ方、羊さんの種類によっては出来上がりの質感は驚くほど異なります。モヘアもやわらかいですが、ドレープしてくれるかというとこれも微妙です。モヘアの柔らかさはたまらなく好きですが、意外と主張があるモヘアもいるのでこれまた注意なんですよ。そして、主張がつい良いモヘアも他の糸と2本で編むと急にホワーンとなるようになったりともう、驚きの連続です。

大切な時間、お金、労力を使って楽しみたい趣味です。毛糸を選ぶときにはよーく考えて飛びつかないようにお互いに気をつけましょうね(笑)

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手作りについて

「手作り」が大好きな私たちはこれから数多くの手作りに挑戦していくことでしょう。そこで「手作り」について一言

「手作り」というとどういうことを皆さんは思い起こしますか? 趣味? 友人そして仲間? 温かみ? また、出来上がったものについてはどういう考えですか?

「手作りだから例えば形が少し曲がっていてもそれが手作りの良さ」と思うか

「手作りといっても私は完璧を目指す」とか、逆に手作りのものを手にとったときに

「この小さなちょっと不具合な感じが手作りらしくていい」、それとも

「既製品のようなきちっとしたものではないから好きではない」

などなどいろいろだと思うんですよ。そして、プレゼントとして受け取ったとき、作品としてただ単に見ているとき、またお金を出してその手作り品を買おうとしているときという立場(?)によっても感じ方は変わって来ますよね。

作る側の私たちは「手作りをするプロセス」が一番大切で、その一瞬一瞬が楽しかったらそれでよい人と、また、「いや、いくら手作りといっても完成品が貧弱では困る」と完璧を目指す人、これまた様々。

さて、皆様はどのカテゴリーに入りますか? 自分が使うためだからいいのよ、と言える人、ある程度は体裁を整えなくてはとついつい手を加え続けてしまう人、どれが正しいわけでもなく、何が他の考えより良いわけでもないんですよね。そのあたりがおもしろい。

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新参者はがんばる

アメリカ各地、いろいろな場所にすみました。子供ももう育ちあがってしまっているので、子供を通じた友人はできません。となると後は自分だけ。がんばるしかありません。

編み物会やら読書会に出かけて行き、自分から自己紹介をして相手の名前、趣味などを聞き出すしかないんですよね。編み物会は楽です。お互いに共通の趣味がありますから。そうはいっても住んでいる場所が違うと毛糸の好み、編むもののチョイスも少し違います。もっともその異なる部分を見つけることが楽しいのが新しい場所に住むことなのですけれどね。

とにかくがんばるしかありません。全員がいつも親切というのはおとぎ話の世界。意地悪というのではありませんよ。とっつきが悪い人もいますし、よーく知ってみると良い人なのだけれど、相手側が初対面の人との会話が苦手という時もありますから、最初からそううまくはいきません。しかしめげていたら人の輪は広がらないので「こんな時もあるさ」と思って次の機会に望みをつなぐんです。

しかし考えてみるとこれも経験がものを言います。だんだんにずうずうしくなっていきますし、ちょっとやそっとのことではへこたれなくなります。経験を踏むというのは本当に大切なことなのでしょうね。どんなことでも経験を重ねていくと最初はすごく大きいことに見えたことが後で考えて「なんだ、あんな小さいことだったのね」ともしかしたら言えるかもしれません。

自分が外に出かけていかなくては世界が広がらない。これは住む場所が変わるたびに思い知らされてきたことです。おかげでたくさん友人も増えましたが、逆に「さよなら」もたくさん言いました。もう2度と会えないだろうなと思う人たちもたくさんいます。Facebookなどで話すことはできても顔と顔を合わせておしゃべりすることはないと思うとやっぱり寂しいですね。「ちょっと友達に会ってきます」というにはアメリカは広すぎるんです。でも、何かのチャンスに古い友人たちにどこかで会えるかもしれないという望みを持ちつつ、また、新参者は新たな出会いを求めて出かけて行きます。

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子供達は興味ないから

先日、ちょっと高齢の方とおしゃべりをしていました。私があまりに増殖してしまった毛糸について言うと彼女は

「私はいまだに毛糸を増やしているわよ。だから、どんどん増やしなさい(笑)。子供達は全く興味がないから、私が死んだらみんな捨ててもらうの。」

え、それは少し悲しい。。。 彼女は毛糸の他にも糸紡ぎ機などいろいろと処分しなくてはならないものがあるそうです。昔の形の糸紡ぎ機というのには心が動きましたが置き場がないな、と諦めました。

他の知り合いの方のお葬式の時に(私は参加していませんが)ご家族の方が列席の方々に毛糸が入った紙袋を渡しという話も聞きました。ご主人も奥様が残した毛糸をどのように処分したら良いのか考えた挙句のことでしょう。でも、編み物仲間たちは思い出の何かを編むわ、と故人を懐かしむ表情をしていたのを思い出します。

編み物に限らないでしょうね。クラフトの材料はもちろん、そうでなくても写真が趣味の方たちはおそらく多くのカメラ、また、絵を描くのが好きな方は絵の具とか筆とか、いろいろなものを残したところで子供達が興味なかったら処分の道をたどるしかないのでしょうね。

私も自分の毛糸を見て考えます。今のうちから処分しておいた方がいいのかしらと。私は息子二人ですし、こんなに毛糸を残されたらきっと

「ママはいったい何を考えてこんなに毛糸を買い込んだのだろう?」といやぁ〜な思いをすること確実です。そんな迷惑をかけるくらいなら前もって。。。と思いながらもそう簡単に決断は下せません。あとは、ひたすら編み続けるだけ。でも、毛糸屋さんに行ったら新しい糸が欲しくなるのは目に見えていますしね。結局減らないということです。困ったなぁ。

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