列は列を呼ぶ

不思議なもので長い行列ができているお店は人々の目に止まり、さらに行列が長くなります。並ぶのが好きでない私も「気になる」そして、「あとでもう一度来てみよう」もしかしたら行列が短くなっているのではないかというかすかな期待を持って。

もちろん、いつもいつも行列ができているお店は当然のごとく(?)列に並ばずには入ったり買ったりできません。並ぶのを楽しんでいるのだろうか? と思いながら横を通り過ぎます。

並びながら通り過ぎる人たちを観察するのはなかなか一興があるんですよ。

「何、並んでいるの?」と聞く人あれば

「ここ、有名なのよね。並んでみる?」そして

「ネットで見たことがあるある。こんなところにあったんだ。並ぼう」

「今日は時間がないから場所を覚えておいて次回かならず来ようね」なんてさまざまです。

じゃあ、並んで買った人、食べた人、100%の人が満足するのでしょうかね? これだけの人が並んでいたのだから美味しいに違いない、という先入観が働いたりしないのかしら?

アメリカ人も行列が好きですが、何を並んで買ったかなぁと思い出すと、シカゴでドーナツとカップケーキ。ニューヨークでもドーナツ。 それくらいかしら。そうそう、毛糸を買うのにお金を払うために長く並んだ経験は少なからずありますね。

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やはり対面のお魚屋さんが好き

スーパーに押されて個人商店がどんどん姿を消している今、対面のお店を探すのは至難の技です。

それでも、まだ残っているお店を見つけると嬉しくてついついたくさん買いたくなるんです。

街を見ているとラーメン屋さん、パスタの店、ケーキ、パンで名を成している店には長い行列ができているというのに、魚屋さん、八百屋さん、肉屋さん、乾物屋さんなんて、名前すらご存じない方も少なくないのでは? ましてや行列なんてとてもとても。

些細なこととはいえ、挨拶をし、注文をし、ちょっとした世間話などをしながら品物を選んで、今日のお買い得とか新鮮なものについて教えてもらって、とたわいもないひと時のように見えますが、実はこれも私たちの成長に大切な時間なのかもしれない、と思うんです。

無口にコンビニでものを選んで無言で店を出るよりはるかに人間らしくありませんか?

確かにスーパーができてそこでいろいろなものが買えて便利になりました。しかし、便利の陰にはお店が消えていったという事実だけではなく、人々の買い物の姿にまで変化が起きて、目に見えないものが少しずつ消え去っていく気がしています。

コンビニにしろ、携帯にしろ、本当に必要な時だけに使うものからいつもいつも使っているものに変わっていますね。

鍋を買いに合羽橋に行ってきました

近所に金物屋さんとか荒物屋さんが見当たらず、大手スーパーに行かないと鍋も買えない! とブツブツ言っていたら、主人が「合羽橋に行く?」

渡りに船、とさっそく行ってきました。駐車場が一番心配でしたら朝早めに出て行ったので路上駐車もまったく問題なく、ゆっくりと買い物ができました。

わざわざ合羽橋に行かなくてもオンラインショップでもちろん買えるのですが、私は

1。話を聞きながら買いたい。

2。目で見て手に持って重さも自分で確認してから買いたい。

3。いらないようなものとか、広告なしに自分が欲しい、と思うものをすぐさま見せてもらえる。

というのが大きい理由でした。

楽しかったですよ。だってたくさんあるんでそもの。あちらこちらの店を眺めて欲しかった鍋を購入し、そのほかにもざるやらボールやら買い込んでしまいました。

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ステンレス、アルミ、ステンレスの3重構造で重いことは重いけれどとても使いやすそう。

アルミは熱伝導がいいけれど、酸などに反応しやすく、ゆで卵など作ると中身が黒くなることもあるんですって。だから、アルミの鍋は特に料理したものをそのまま放置することはせずにほかの容器に移した方がいいよ、と教えてくれましあt。逆にステンレスは熱伝導はあまり良くないけれど、一旦温まってしまうと今度は冷めにくくて熱をしっかり中にためてくれると伺いました。

今まで使っていた鍋はステンレスばかり。アルミの鍋もこれまたおもしろそうです。

人の気持ちは移りゆく

本屋さんに行くと読みたい本がたくさん見つかります。アメリカに住んでいた時は、日本の本を存分に買える機会があまりなかったので「読みたい!」と思った本はほとんど手当たり次第狩っていたように覚えています。しかし、その時は読みたいと思った本も、数週間後、ひどい時には数日後には魅力が褪せてしまったことも少なくないんです。すると、その本はお蔵入り。なんとかわいそうな!

今は日本に住んでいるので一度にたくさん買う必要はありません。本当に読みたいと感じたものを1、2冊購入して、他に欲しいなと思った本はタイトルと作家名を記憶。(うそうそ、写真に撮ったりメモしたり)。次に本屋さんに行った時にチェックするために。

メモされた本をその後買うかどうかという確率は60%くらい。そう、気持ちは変わるんですよね。

毛糸だって同じ。編みたいパターンも同じ。見ていて「これ編みたい!」と思ってパターンを買い込んでもその時に編んでいるものが終わった時にはその新鮮味も消え失せ、記憶の彼方に追いやられてしまうことも少なくありません。いけない、いけない。倹約せねば。

それに比べてあまり変わらないのが音楽と食欲。好きな音楽はずっと好きですし、食べたいものもそれほど変わっていない。犬が好きなこともずっと変わりません。

そう、それと「人が好きだから私も好き」というのはほとんどなかったような気がします。

 

リサイクル

いらないものがどうしても増えて行くこの消費社会(自分で気をつけていれば物もたまらないのでしょうが、ついついね)の中で、物を捨てずに無駄にしないで生きていくためにはやはりリサイクル。

人によっては誰か知らない人が使った物なんてイヤ!とおっしゃるかもしれません。それはその通り。でも、中にはそこまで気を使わなくても大丈夫な物でリサイクルできる物もあるのではないでしょうか?

私は今、近所のリサイクルコミュニティーに属していて。いらない物はそこポストして売ってしまいます。売るといってもお値段はもう見事に低価格。だって、売るのが目的ではなく、家の中で使わずに古くなっていってしまう物をどなたかに使ってもらうのですから。そう。無料でもいいかな、と思うときもありますが、ま、買ったときにはお金を支払っているのでその数分の1くらいのお金を頂いています。

今日も、重くて使わない鉄のフライパン、大きい深手の鍋、そしてこれまた大きいパンを売りました。重いので家まで取りに来てくれてもいいよと言ってくださったのですが、家も散らかっているので、ごく近所でお渡ししました。

ゴミの山を大きくせずにできたのは嬉しい、と思うと同時に、買い控えをしなくてはと自分に言っています。かといって買い控えていては産業、経済がまわりませんからね。これまた困ります。

でもね、やはり地球に優しい生活をしなくてはダメな時代なんですよね。結局自分の子供、孫に帰ってくるのですから。そう、買いすぎている(進行形です)毛糸たちももしかしたら少し処分しなくてはいけないのかしら? それぞれの毛糸たちは思い出がある物ですから別れがたい。。。

お店の存続はむずかしい

アメリカ経済、アマゾンの一人勝ちの様相が見えています。そんな中、個人経営の店は続けるのが本当に難しいようです。開店したは良いけれど、どのように集客し、固定客をつかみ、人の心を離れさせないようにサービスするかという努力は私の想像を絶するものだと思います。

そんな中、しっかりその地に根付き派手ではないけれどきっちりした仕事をしているお店というのは見ていても気持ちが良いくらい店の中はさりげなくデザインされているし、オーナー、働いている人もセンスがあってさらに、人との会話と間のとり方がとても上手だなと思われます。

今日行った毛糸屋さんでがっかりした点。

1)店番している青年がだらしないカーディガンの着方をしていたこと。そう、どのような服を着るのだってその人の自由ですが、やはりお店のイメージというか店の雰囲気を前面に出してくるのが働いている人だと思うんです。自由な服装はいいけれど、ダラダラした服装はちょっと、というのが私の印象でした。

2)探している毛糸がわからない。別にすごーく珍しい糸を探していたのではなく、そのお店で売っているブランドの糸。糸についての知識は持っていてほしいと思いました。

3)ネットがダウンしてしまい、カードでの支払いが不可能となりました。それなら伝票に手で書くとか、キャッシュで支払える人はそれなりの対応をするとかしないで、ネットの操作ばかりで並んでいる客に対しての対応なし。一人で切り盛りしていたので仕方がないといえば仕方がないのかしら? でも、並んでいた人の中には糸を棚に戻して店を出て行く人も。私は探していた糸がなかったので何も買わずに店を後にしました。

このお店にももちろん固定客もいるだろうし、たまたまこういう日に私が当たってしまったのかもしれません。しかし、もう一度行きたい? と問われたらおそらく首を横に振ると思います。

ビジネスの世界に足を踏み入れるのは本当に大変なことなのでしょうね。私のような客側は好き勝手なこと言っていますから。

100ドルのカウル、高いと思う?

ちょっと離れたところに住む友人からメールが来ました。

「どうしても作りたいカウルがあって、もうすでにパターンは買ってあるのだけれど、デザイナーが使っている糸を使うと約100ドルする。しかも、近所にその毛糸を売っている店がないからオンラインで買わなくてはならないから色目がはっきりわからない。どう思う?」

そのパターンとはAndrea Mowryの The Shift。使っている毛糸はSpincycle 色の移り変わりがきれいですが確かにお高め。

いやあ、そう言われても、というしかなくて、返答に困りました。すごく欲しかったら100ドル頑張って捻出してスタバのコーヒーを1ヶ月くらい我慢すればいいし、と思ったけれど、彼女はスタバのコーヒーは飲まなかったんだ、と思い出し、

「その毛糸を使わなくても自分が納得できるのなら他の毛糸で作ればいいと思うし、でも、それであとでなんとなく納得がいかなくてせっかく作ったカウルが気に入らなくなる可能性があるなら、100ドル出してしまえ!」とかなり無責任な返答をしてしまいました。だって、他の糸を使っても少なくとも50ドルくらいはかかります。

金銭感覚はそれぞれですからね。カウルに100ドルはかけたくなくても夕食に200ドルくらいかけるのはオーケーと思っている人もいるだろうし、逆の人もいますからね。

私はせっかく作るのなら自分が好きな糸でとつい思ってしまうので、それで毎月の毛糸代がかさむんです。
しかし、豪勢な食事に行きたいとも高級車に乗りたいとも、ブランドのアクセサリーが欲しいとも思わないので、これくらいいいかしら、というのが言い訳です。

借金をしないで自分が納得できる範囲ならお金はどう使おうとその人次第なんですよね。まわりの人がなんというとそれはムシ。だって、関係ないのですもの。

とは言っても、やはりお金の感覚の違いは友人関係に微妙な影を落としてしまうのも事実。そこはお互いに推し量りながら言葉は悪いけれど探り合うしかありませんね。これは毛糸を買う時だけでなくて食事に行く時だって、洋服を買いに行く時だって同じ。価値観がずれているとなかなかおつきあいも難しい。

さて、彼女がどういう返事のメールをくれるか少し楽しみ。