いろいろと曖昧な日本語

日本語とは本当に便利で、別に主語を省いても相手に意味が通じればよく、また、述語がなくてもすごく変という感じを持たないことが多いですよね。

それに比べて英語は主語、述語がはっきりしないと文章として成り立ちません。まぁ、会話の上では名詞だけで通じますけれど。

一番困るのが翻訳をしている時。この文章の主語は一体なんなのだろう? 自分の解釈と書いている人の解釈に違いがあったらまずい、と確認をしますが、それを面倒臭いと思われる方もいいたりするのでなかなか苦労します。「それくらいわかってよ」と言われても、違う意味になってしまったらあとで困ります。わかりにくい文章を書かないで欲しいなぁと思うのですよ。

そして、「こういう」とか「そういう」とか指示代名詞も多い言語ですよね。同じ言葉を繰り返すことなく言えるという点では本当に便利。

まぁ、言葉は本当におもしろいです。

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見直しの難しさ

私はあまり見直しが得意ではありません。

子供の頃からテストをちゃんと見直さなかったために点数が低くなったりしてよく叱られました。「ちゃんと見直さないから」という言葉は耳にタコができるて破裂するほど聞きました。

このブログも一度書いて、また見直してなんてほとんどしません。書いたらすぐにポストしまうのでお見苦しい点がたくさんあるのではないかと今、冷や汗が出ています。

なぜ、こんなことを思い出したかというと、ここのところ、推薦状を書いたり、自分のちょっとしたものを書いたりしていたのですが、さすがにこれらのものは見直さないわけにはいきません。ということで1度目を通し、「あらあら、こんなに間違いが」。今度は大丈夫だろうとまた、見直すと「え、ここも間違ってたわ」。主人に頼むと「こんなに間違ってるし、ここ、言ってることがわからない」

自分ではわかっているつもりで書いているから説明が足りなかったり、こう書いているだろうと脳細胞が自分に言っているものですからそういう目で文章を見てしまうのでしょうね。だから、間違いに気がつかない。

皆さんも、こんな経験ありません? どこかに電話をして相手の人たちはいつも返答している内容だからやけに早口で、業界用語などを交えて話され、聞いている側は「?」 話している側はわかっていることばかり話すからそれほどていないな説明をしないし、聞いている側は説明してもらわないとわからんしと。

考えてみたら、自分が思い込んでいることもそうかも。自分が正しいとか、そうに違いない、と思ってしまうと先入観に邪魔されて他の人の意見が聞けなくなったり、直したり、変更することに抵抗があったりするのかもしれませんね。

気をつけなくては。提出した推薦状の誤字、脱字が気になり始めました。

すぐに「訪日客」のためにという人々

外国人旅行客のために という文句を最近ひどく多く聞いたり見たりします。

いつも思うのが「え?私たち、日本人のためにということはないのですか?」

他の国に行って「わかりにくい」「理解しにくい」「むずかしい」というのは当然のこと。

それを一つの旅の楽しみとすれば良いわけで、なんでもかんでも他の人たちがわかりやすくするなんてしょせん無理だし、必要がない! と私は憤ってしまいます。

私は質問したいです。こういうルールやら、考えを前に押し出す方に

「アメリカ旅行して、レンタカーの使い方とか日本でのわかりやすさをアメリカに求めますか?」

「英語ばかりの表示じゃわからないから日本語の表示にしてほしい」と日本語でがんばれますか?

語学はこの場合ちょっと考えないとしても、上のようなことを聞きますか? しないでしょう? だって「郷に入れば郷に従え」ですもの。

一つ経験談を。京都駅で頭から湯気を出して怒っているアメリカ人の男性二人。言葉は汚いし、駅員さんに対して暴言を吐いていました。おそらく、駅員さんがわからないと思ったのでしょう。ひどく腹がたってので

「あなたたちの言葉は恥ずかしくて聞いてられない。失礼な言葉は謹んで」と怒ったら、一人の男性は非常にムッとして離れて行きましたが、もう一人は下を向いてしまったんです。

事情を聞いたら彼らが持っているチケットが新幹線ひかりはいつでも乗れるけれどのぞみ号は乗れないチケットだったんです。たまたま京都で時間があまってしまい目的地の北海道に早く到着したいからのぞみ号に乗りたいと駅員さんに行ったら1万5000円くらい余計に支払ってくださいと言われたことに腹を立てたそう。

そこを説明して支払いたくなかったら最初からの予定のままで旅行すれば別料金を支払わなくていいことを説明し、不服そうな男性を説得しました。言わずもがなのことでしたが

「誰も聞いていないと思ってあんな恥ずかしい言葉を駅員さんにぶつけたことをお母さんに言えるの?」

意外とアメリカ人男性、お母さんに弱いんですよね。「ごめん。つい興奮してしまって」という返事。もう2度とあんなことしないでくれたらいいと思いました。

だいたい、アメリカで電車に乗ろうとしたって全然アナウンスだってないし、電車に乗ったことがないアメリカ人すらうろうろしてしまうのに文句を言っている人あまり見ませんよ。仕方がないんですよ。知らない土地に行ってわからないことがあるのは自然なのですもの

チャートに勝つものはない!

アメリカに来てからずっと編み物をしませんでした。だって、その時はまだまだチャートがこの国には普及していませんでしたから、1段1段の説明を追っていかなくてはならず、さらには訳がわからない略語がたくさん飛び出してくるものだから、あきらめていました。

少しずつチャートが人々の中に広がり始め、そして、少しずつ略語がわかるようになってからこちらのパターンで編み物をするようになったと思います。

そう入っても、やはりチャートに勝つものはありません。

1段ごとの説明がないにしても、言葉による説明だけだと、どういう風に出来上がっていくのかは全部読んで、「あ、こういうことね」とわからないといったいどうなっているのやらとにかく五里霧中。

そこで、とにかくチャートとまでいかずとも図にしてから編み始めるんです。

たとえば、10段ゴム編み、20段メリヤス編み、減らし目1段、またメリヤス20段、減らし目の段を1段、メリヤスを25段、それから袖の減らし目、というときにはどうやって減らしていくのかを図にするんです。これをすることで、編みながら、もう少し減らしを多くしたほうがいいかも、というときにはメリヤス20段を15段にして、減らし目を3回にすることも前もって計画が立てられますからね。

図にして目の前にどういう形で編んでいくのかがはっきりわかると、どうしてそういう編み方をするかという理由が納得できるんです。それがなくてただ単に、言われた通りに編んでいるだけでは不安がつきまとってしまって。。。

それにしても、どうしてチャートを苦手とするのだろう? これくらいわかりやすいものはないのに、と思うけれど、これはおそらく「慣れ」の問題なのでしょうね。私が、懇切丁寧な編み方の説明になれなかったのと同じで。

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人の間違い、どこまで言ってよいものか...

編みぐるみなどをたくさん作っている人が編み物会にいるのですが,ショールとかカウルはあまり編んだことがないんです。隣にすわった私に作り目をした針を見せてこう言います。

「ねじらないように輪にしたいのだけれど良い方法ないかしら? 何度も何度もやり直したことがあってイヤな思い出なのよ」

「それなら,テーブルの上に針ごとのせて目の下にある部分が必ず針の内側か,もしくは外側に来るように目を動かせば大丈夫よ」と言って彼女の手から針を受け取り作った目を落とさないようにていねいに整え始めたのは良いのですが...

そこで気がついたのが,手にかける作り目をしたときにねじってしまったり,針が糸をつついてしまっていて変に糸が絡んでしまっているところ。さて、どうしよう。どこまで言ってよいのもか...それほど親しくないのと,彼女の編み物のレベルをあまり知らないのではっきりと「ここがおかしいからやり直した方がいいわよ」と言えずに終わってしまいました。

性格をよく知っている人なら,その人がちょっとした間違えを気にするかしないかわかりますから対処が簡単なのですけれどね...また,彼女は大病をしたばかりでやっと編み物ができるようになったと喜んでいるところですからよけいでした。あまり細かいことを言うよりも針を持つ楽しみを感じることがまず先決。できばえはそれからかな,と勝手に決め込みました。

誰かが間違っていることを指摘するのは簡単。でも,言葉は選ばなくてはいけないし,その人を取り巻くいろいろな要素も考えることもとても大切だと思うんです。あ,これって編み物だけじゃないですね。何にでも同じだと思います。人を批判するのは本当に容易いことですが,一度口から出てしまった言葉はもう戻せません。それに,その一瞬だけを見て人を判断するのは大きな間違え。その人の育てられ方,今までも経験、その他いろいろなことが現在のその人を作り上げているのですからね。それを知らずに人のことをあれこれ言うのはいけません。編み物から話がずれてしまいました。:) ごめんなさい。

あれから少しは進んでいるかしら? ちょっと心配しています。

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言葉にできない

まるで、小田和正さんの歌詞のようですが...

私たちの心にあるものが言葉にならないときってありますよね。嬉しいとき、悲しいとき、おどろいたときなどなど。

昨日の私、そう、とても美しいものを見させていただいたときに言葉を失いました。

今、書きながら、なんて書いたら良いのだろうと唸っています。うーん。

何を見たか? 美人画です。ホーッとため息が出て、あまりの美しさに時間が止まり、現実ではないような夢見心地なフワフワした気分.いやぁ、言葉が足りません。

このような美しい作品をこの世に残せるとは、なんてなんてうらやましい〜。<ー私のようなものがおこがましいです。

小学校の頃から絵は苦手ですから(5段階で2をとったくらいです)絵を残すなんてどうひっくり返ってもムリ。へのへのもへじくらいかけるでしょうが。さて、自分では何を残せるか。立ち止まって考えていることにしましょう。

あまりに寒いので、今日は、先日編み始めた Hitchhiker を編み上げます。いったい、いくつ編んだことやら。簡単なこと.そして首のまわりに巻くのになかなかステキな形であること.ブロックする必要がないこと、などなどの理由でプレゼントに使っています。きれいな桜色の毛糸で編みます。そう、差し上げる方を心に浮かべながら。

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