親切と過剰親切の境目

困っている人には親切に。まわりの人の気持ちを考えて親切に。これらは当然のこと。お年寄りが乗ってきたら席をゆずるとか道に迷っている人がいたら声をかけて差し上げるとか、いろいろ私たちの身の回りにはできることがたくさんあります。

これは本当にすばらしいこと。生きて行く上で大切なことです。

しかし、先回りしてこれがあったら便利だろうとか、これをするのが親切だろうという、過剰親切はどうなのでしょう? おもてなし、という言葉が頻繁に使われていてその言葉の裏側に見え隠れしているのが過剰親切。

一時期、過保護とかそんな言葉もありました。それに近いものが最近見えています。

日本国内に住んでいると手取り足取りいろいろ親切にしていただくことが多く、表現は悪いですがぬるま湯に浸かっている気にもなります。これでは外国に出たら冷水を浴びることになるのではないかと危惧をしないでもありません。外国では自分の思うように行くことなどほとんどなく、それに向かってチャレンジできる人にならなくてはいけないのに、こんな優しい国の国民は冷水に対する免疫がなさすぎる国民になってしまうのではないかしら?

「優しく、親切に、温かい心を持って」とてもすばらしいことです。でも、やはり「過ぎたるは及ばざるが如し」と感じる今日この頃です。

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戻ってきた手帳

編み物をしていると本当にいろいろな人と出会い、おしゃべりをする機会に恵まれます。

これも先日、たまたまカフェで出会った女性の話。彼女は旅行中で、近くの毛糸屋さんをまわってきたと、毛糸やパターンが入った袋を見せてくれました。そして、

「聞いてくれる? いい話なのよ。この間、フロリダの毛糸さんで買い物をしたとき家、その後に食事したレストランに、編み物の手帳を忘れてきたの。編んでいるもののパターンの名前や、使っている針の号数、そして、自分で手を加えた部分を書き込みながら、その日あったことを少しだけだけど書いてきた、私の日記みたいなもの。毎日持って歩いているものだから見つからなかったときは大ショック。落ち込んじゃったわ。別の手帳を買ってまた新しく始めたのだけれどね、その手帳の中にたまたま友達の住所がかいてあったものだから、拾ってくれた人が彼女のところにその手帳を送ってくれたの。そして、私の手に戻ってきたというわけ。編み物をしない人だったら中を見たってまるで暗号が並んでいるようにしか見えないだろうから、きっと忘れてきたのは毛糸屋さんだったのね。私の電話番号も名前も書いてなかったから唯一の手掛かりの友人宅に送るしかなかったのでしょうね。でも感激。わざわざ郵便局まで行って送ってくれたのですもの。その人にお礼をと思ってさっき紅茶を買って来たのよ」

金銭的に価値があるものではないけれど、自分にとってとっても貴重なものってありますよね。それをなくしてしまったら、暗〜い気分になってすごくがっかりしているだろうなぁ。ちょっとした人の親切だと思っても相手の人に与える暖かみってすご〜く大きいのでしょうね。

全く見ず知らずの人でしたけれど、この話を私にしてくれているときの彼女の表情はとっても嬉しそうでした。

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