履歴書書くのはむずかしい

さて、履歴書を書きましょう、と思い立ったものの、いざ書き始めるとむずかしい。

まず、学歴でうーん。いったい、何年に入学して卒業したのはいつ? と指折り数える始末。なんといってもずーっと昔のことですからもう忘れてしまいました。しかし、間違っても学歴詐称だけはしたくありません。

それに、私、父の転勤で高校中退、編入、大学中退、編入をしているので、これを全部書くと欄がいくつあっても足りません。

アレヤコレヤ書いて、職歴も並べ始めたら日が暮れてしまいました。

年齢を書かせ、性別を書かせ、写真も貼らせるというのには驚きましたがこれも仕方がないのでしょうね。

だいたい、定年を70歳にまで伸ばそうと言いながらその受け皿が準備してなかったら高齢者は再就職もできません。定年が70歳までと言われても同じ職場で70歳まで勤め上げられる人がどれくらいいるというのでしょう?

まだ、そこまで手が届きませんがそうはいっても誰でも同じように年をとって行きますから、明日はわが身ですよ。

無事に書き終え、メールで送るのであればとりあえず写真は失礼してしまおうかしらね、といつものいい加減が出ています。

でも、履歴書から何がわかるというのでしょうね。プロの方に教えていただきたいです。

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日本の郵便は優秀!

日本の郵便やさんはなんてすごい! と毎日のように思います。

国が小さいからといってしまえばそうなのですが、夕方4時過ぎに郵便局に持っていたゆうパックが次の日にもう岐阜県に届いているというすごさ。普段からこれに慣れている人はなにも感じないかもしれませんが、いい加減な郵便屋さんばかりに出会っていたアメリカでの生活が長い私には感激ものです。

この間、家にいない時に書留が入っていて不在通知に「今日お届けします」なんて書いてあるではないですか。こんなことまず、アメリカではありませんでした。

「4時過ぎに連絡をくれれば次の日配達」という不在通知は入っているものの、4時過ぎに郵便局に行っても

「また、配達員が戻ってきていないからわからないわ」

次の日に郵便局に取りに行く旨を伝えて次の朝取りに行っても

「あら、配達員が持って行ってしまったわよ」なんて日常茶飯事

それに、トラッキングしていると

「どうして、この郵便局から動いてないのだろう?」と思ったことも数回。

なんていうと、アメリカの郵便配達の方全員が今ひとつのような印象を受けてしまいますね。ごめんなさい。そんなことはありません。とてもていねいに応対してくださった方もたくさんいます。一つ言えるのは地域性があるのでは? ということ。アメリカ国内といっても広いですから場所、場所によって人の温かさ、文化、習慣がかなり異なりますからね。

渋谷でのハロウィーンに思ったこと

昨日は、例年にもれず渋谷ではなかなかの騒ぎがあったようですね。あれだけの人が集まることって他にあるのでしょうか?

群集心理と言いますが、一人で地元で仮装してもおもしろくないだろうし、勇気がとっても必要なことですよね。

子供達が仮装しているのはとても可愛らしいのですが。。。

それにしても、アメリカで見かけるあのような集団はたいてい、何かに反対したり抗議行動を起こしている場合が多いもので(しかも政治的なものがほとんどです)、ハロウィーンなんて日本の文化でもないものにあのように大騒ぎができるというのは、やはり日本は平和なのでしょう。それとも、不平不満があるためのはけ口なのかしら?

平和であることは本当に幸せです、ただ、それに慣れてしまってそれを当たり前のように思わないようにしなくてはいけません。

じゃあ、どうしたらいいのか、ということになりますが、今、私たちができることは、自分が置かれている立場に感謝して、そして自分ができることを精一杯やることでしょうか?

なぁんて偉そうに言いながら、自分がやらなくてはいけないことがどんどん溜まっていきます。あ〜。

日本だからこその魅力

日本に旅行(観光)に来る人が日本に求めるものはいったい何なのでしょうね?

日本独特の文化があるから ー>それは建造物、風景であり、食事、人々の所作もそう。

自国にないものが見られるからー>上と同じようで微妙に異なると思います。何か違うものがあると言う感覚。

この二つが大きいのではないかと思うのですよ。

自分がどこかの国、いえ、日本国内でもいいのですが、旅をしようとするとき、何をベースに選ぶのかと考えたときに浮かぶのはいったい何?

先日、旧軽井沢に行きましたが、並んでいるお店は軽井沢を思わせるものではなくてまるで原宿の竹下通りを歩いているように錯覚させる店が増えていました。竹下通りはあまり行きたくない場所である私には旧軽井沢の魅力はさほどなくなり、おそらく別の場所を選ぶと思います。(それは、竹下通りに行きたかったらいつでも行けるという東京に住んでいるから持つ感覚かもしれません)

日本が日本でいることがいかに大切であるかという感覚が欠落しつつあるような気がしてなりません。日本であることを大事にすることと国際化をするということとは別のレベルのこと。

本当に観光立国として残りたいなら、外国から来た旅行客に媚びへつらうのはやめたほうがいい。そんなことをするなら凛とした姿を見せたほうが魅力につながるはずだから。

おそらく、海外に長く住む日本人の方はそう思っていらっしゃるのではないかと勝手に想像しています。

 

 

 

編み物会の話題、健康保険、政治、はたまた本

「編み物会」というとまるでヒマな女性たちが編み物をしながらうわさ話をしているように思われがちです。確かに編み物はします。しかしうわさ話というのはほとんどいたしません。

編んでいるパターンの話、毛糸の話はもちろんですが、医者の話(いえ、どの医者が上手でとかというよりも、こういう病気でお医者さんを探しているのだけれど、誰か知らない? という話の方が多いですね。)、家のリモデルのための業者の話、読んだ本の話、政治の話(これはちょっと避けたいのですが)、そして健康保険の話となります。日本のように健康保険が国民に平等に与えられているものではないアメリカでは、医療、健康保険の話となると、プライバシーに関わる部分、それでも皆に伝えておきたい問題点などかなり幅広い話となります。

こんな話をしているから編んでいるパターンを間違えたりするのでしょうねぇ。

私も引っ越してきてやっと3週間になるかならないか、マフィンの獣医さんや、ケンネル、近くでの催し物についてはいろいろな情報をもらいました。

昔の井戸端会議に通じるものがあるのでしょうね。

集まる人は育った環境、仕事、経済状態などさまざまなので話す内容、事柄など注意は必要です。また、編み物会そのものも特徴があるので、前の編み物会で通用していたことが新しい編み物会で通用するとはまったく限りません。

あちらこちらに引っ越している間になんだかいろいろな人に会うことができました。お国柄という言葉がありますが、広いアメリカではお土地柄という言葉に置き換えなくてはダメなようです。一つの国とは言っても文化がまぁ、驚くほど違いますから。まぁ、まずい話題になったなぁと思ったら、さっと、編み物に話を向けられるのは「編み物が好き」という共有できるものがあるからでしょう。

さてさて、明日の編み物会、一体どんな話題に花が咲くことやら。

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