すぐに「訪日客」のためにという人々

外国人旅行客のために という文句を最近ひどく多く聞いたり見たりします。

いつも思うのが「え?私たち、日本人のためにということはないのですか?」

他の国に行って「わかりにくい」「理解しにくい」「むずかしい」というのは当然のこと。

それを一つの旅の楽しみとすれば良いわけで、なんでもかんでも他の人たちがわかりやすくするなんてしょせん無理だし、必要がない! と私は憤ってしまいます。

私は質問したいです。こういうルールやら、考えを前に押し出す方に

「アメリカ旅行して、レンタカーの使い方とか日本でのわかりやすさをアメリカに求めますか?」

「英語ばかりの表示じゃわからないから日本語の表示にしてほしい」と日本語でがんばれますか?

語学はこの場合ちょっと考えないとしても、上のようなことを聞きますか? しないでしょう? だって「郷に入れば郷に従え」ですもの。

一つ経験談を。京都駅で頭から湯気を出して怒っているアメリカ人の男性二人。言葉は汚いし、駅員さんに対して暴言を吐いていました。おそらく、駅員さんがわからないと思ったのでしょう。ひどく腹がたってので

「あなたたちの言葉は恥ずかしくて聞いてられない。失礼な言葉は謹んで」と怒ったら、一人の男性は非常にムッとして離れて行きましたが、もう一人は下を向いてしまったんです。

事情を聞いたら彼らが持っているチケットが新幹線ひかりはいつでも乗れるけれどのぞみ号は乗れないチケットだったんです。たまたま京都で時間があまってしまい目的地の北海道に早く到着したいからのぞみ号に乗りたいと駅員さんに行ったら1万5000円くらい余計に支払ってくださいと言われたことに腹を立てたそう。

そこを説明して支払いたくなかったら最初からの予定のままで旅行すれば別料金を支払わなくていいことを説明し、不服そうな男性を説得しました。言わずもがなのことでしたが

「誰も聞いていないと思ってあんな恥ずかしい言葉を駅員さんにぶつけたことをお母さんに言えるの?」

意外とアメリカ人男性、お母さんに弱いんですよね。「ごめん。つい興奮してしまって」という返事。もう2度とあんなことしないでくれたらいいと思いました。

だいたい、アメリカで電車に乗ろうとしたって全然アナウンスだってないし、電車に乗ったことがないアメリカ人すらうろうろしてしまうのに文句を言っている人あまり見ませんよ。仕方がないんですよ。知らない土地に行ってわからないことがあるのは自然なのですもの

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日本だからこその魅力

日本に旅行(観光)に来る人が日本に求めるものはいったい何なのでしょうね?

日本独特の文化があるから ー>それは建造物、風景であり、食事、人々の所作もそう。

自国にないものが見られるからー>上と同じようで微妙に異なると思います。何か違うものがあると言う感覚。

この二つが大きいのではないかと思うのですよ。

自分がどこかの国、いえ、日本国内でもいいのですが、旅をしようとするとき、何をベースに選ぶのかと考えたときに浮かぶのはいったい何?

先日、旧軽井沢に行きましたが、並んでいるお店は軽井沢を思わせるものではなくてまるで原宿の竹下通りを歩いているように錯覚させる店が増えていました。竹下通りはあまり行きたくない場所である私には旧軽井沢の魅力はさほどなくなり、おそらく別の場所を選ぶと思います。(それは、竹下通りに行きたかったらいつでも行けるという東京に住んでいるから持つ感覚かもしれません)

日本が日本でいることがいかに大切であるかという感覚が欠落しつつあるような気がしてなりません。日本であることを大事にすることと国際化をするということとは別のレベルのこと。

本当に観光立国として残りたいなら、外国から来た旅行客に媚びへつらうのはやめたほうがいい。そんなことをするなら凛とした姿を見せたほうが魅力につながるはずだから。

おそらく、海外に長く住む日本人の方はそう思っていらっしゃるのではないかと勝手に想像しています。

 

 

 

おもてなしの心というけれど

日本人の心、「おもてなしの心」。これは日本人の美徳であり忘れてはいけない心なのですが、ここで考えたいのが「おもてなしを受ける側を教育すること」ではないでしょうか?

おもてなしを受けてそれが当たり前だとか、「自分の国ではこうなのに」と主張する人たちに対して、頭を下げてサービスするだけではなく「ここは日本であり、あなたの国ではありませんから、ご期待に沿えかねない場合も多々有ります」ときちんと言える態度を日本の中でも育てないといけないと感じています。

日本は小さいからとか、敗戦国だからなんてすごく昔から言われてきて、それをそのままに受けた政治家たちやら教育者たち、確かに大きくないかもしれないけれど、「だからどうした?」と言いたい。「大きいから」とか「小さいから」なんていうのはなんの理由にもならないし、単なる事実。もう、教えを乞うような、尻尾を振るような態度だけは避けないといけません。

横柄な態度をとるのではありません。毅然とした態度をとるように努力したいと思うのです。

知り合いの女の子は今、日本で日本語を勉強しています。仲間のアメリカ人たちと電車に乗っていると恥ずかしいと彼女は言います。自分もアメリカ人だけれど、電車の中で大声で話しているアメリカ人の友人たちとは一緒にされたくないから少し離れて電車に乗る、と言っていました。他のアメリカ人留学生に

「電車の中だから小さい声で話さないといけない」と言っても、他の学生たちは
「別にいいじゃない。家でだってこれくらいの声で話しているのだから」と言うだけだから、と彼女は話してくれました。

昔は”In Rome, do as Romans do” なんて言葉もありました。しかしそれも消えつつさると思うのです。無理に押し付けることはしたくないけれど、こちらの基準を下げてまで尻尾を振る必要はないのではないでしょうか?