人が溢れている駅

朝、仕事に行く途中に新宿駅を通ります。ホームには人が溢れ、エスカレーターを待つ人、階段を降りようとする人の長蛇の列がこれから来る電車に乗ろうとする人と交錯し、危険な様子をよく目にするたびに思うんです。

「私は新宿で乗り換える必要がなくてよかった」と。<ー乗り換えを毎朝がんばっていらっしゃる皆様、ごめんなさい。

私が学生時代に同じように乗っていた中央線、混んではいましたがこれほどん混んでいた覚えはありません。ましてや、携帯を見たり、音楽を聴きながら自分のペースで歩いている人も多いのでこれまた混雑に拍車をかけているのかも。

あちらこちらに高層マンションが立ち並び、郊外へ、郊外へと通勤圏が伸びていくのをよしとする時代は終わったのかもしれませんね。というのは人を運ぶ電車のcapacityをすでに超えているから。

武蔵境から通学している中2の女の子が言っていました。大きいマンションが駅前にできてから電車がすごく混むようになったと。

箱物を作れば良いという時代から本当に作って良いのか? 少し制限をしたほうが良いのではないか、という時代に突入していると思います。あの新宿の光景は残念ながら人間らしい生活とは思えませんもの。

国会議員の方々にもぜひ、混雑のピークに毎日、電車に乗って新宿駅で乗り換え、予定された時間に目的地に着く、というスケジュールを組んで1ヶ月くらいやっていただきたいですね。

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これは犬を飼うな、ということですか?

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こんな注意書きが塀にぶら下がっているのを発見しました。

犬のフンを取るのが飼い主の責任であるのは当たり前のこと。おしっこをした後には水で流します。しかし、

「トイレは散歩の前にすませましょう」ですって? それは無理な話でしょう。トイレを済ませるために散歩に出るワンコたちは多いと思うのですが。

私たちはだんだんと「こうあるべきだ」とか「こうしないのは許せない」など気持ちが狭くなってきていませんか? その割に自分だけには寛容だったりしてね。

考えてみれば排泄物をその辺に放りっぱなしにしている人間が多いからこういう看板がでるのでしょうか? とすると、原因は人間? 人間がきちんと片付けていたらこんなことにはならなかったかも。

生きているもの誰でも排泄はします。それを片付ける知恵があるのは人間だけですよね。犬たちに生理的な要求をどうこうしろというのは所詮無理な話。犬たちとどうしたら楽しく、人に迷惑かけずに生活していくかを考えられるのも人間。犬が好きな人も嫌いな人もお互いが気持ちよく生活できるように努力できるのだって人間だからこそ。

動物愛護の精神というのはどういうのをいうのでしょうね。人間の都合にだけ合わせることを言うのかな? 「自分の都合」ばかり先に立つ生活は息苦しい生活だと感じます。

犬だけに限りません。運動会の音楽、ご近所のピアノの音、言ってしまえば自転車の乗り方だってそう。相手に不寛容になりつつある自分がもしいたら一度立ち止まって考えなくては。

それにしても練馬区保健所の方、何を考えているのでしょう?

やはり対面のお魚屋さんが好き

スーパーに押されて個人商店がどんどん姿を消している今、対面のお店を探すのは至難の技です。

それでも、まだ残っているお店を見つけると嬉しくてついついたくさん買いたくなるんです。

街を見ているとラーメン屋さん、パスタの店、ケーキ、パンで名を成している店には長い行列ができているというのに、魚屋さん、八百屋さん、肉屋さん、乾物屋さんなんて、名前すらご存じない方も少なくないのでは? ましてや行列なんてとてもとても。

些細なこととはいえ、挨拶をし、注文をし、ちょっとした世間話などをしながら品物を選んで、今日のお買い得とか新鮮なものについて教えてもらって、とたわいもないひと時のように見えますが、実はこれも私たちの成長に大切な時間なのかもしれない、と思うんです。

無口にコンビニでものを選んで無言で店を出るよりはるかに人間らしくありませんか?

確かにスーパーができてそこでいろいろなものが買えて便利になりました。しかし、便利の陰にはお店が消えていったという事実だけではなく、人々の買い物の姿にまで変化が起きて、目に見えないものが少しずつ消え去っていく気がしています。

コンビニにしろ、携帯にしろ、本当に必要な時だけに使うものからいつもいつも使っているものに変わっていますね。