無理に使わなくてもいい

編み物、パッチワーク、洋裁、ビーズ、いろいろ手作りの趣味をお持ちの方はついつい買い込んでしまって、材料の在庫が山積みになるなんていう経験ありませんか? 買った時は絶対にこれが欲しい! とか、⚪️⚪️を作るために買っておこうなんててにとったものの時間が経つにつれて忘れてしまったり… よくあることですよね。

お金をかけて買ったのだから、使わないなんてもったいない、申し訳ない、と思うことがよくあって引っ越すたびに一緒に移動してきたものたちですが、いろいろ考えておそらく編まないであろう糸たちは寄付することにしました。自分が抱えていて使わないなら、誰かに使ってもらった方がいいに決まっていますし、楽しくなく編み物をするのは何か間違っているように思うんです。

どの毛糸とサヨナラができるかわかりません。でも、少し減らそうと思います。そうしないと私に何かがあったときに子供達が愕然としそうですから(笑)

そんなことを考えていたら、今日、つねに一つのものしか編まない友人に言われました。

「あなたが、幾つものプロジェクトを抱えているという話を聞いて、考えたのよ。それも悪くないなって。今まで、一つのものが終わるまで次のものは始めない、と決めていたから誰かが編んでいたものがどんなに素敵であってもそれを始めることはしなかったのよね。でも、それじゃ、せっかくの編み物会の楽しみを私は味わっていないな、と思ったのよね。だから、一つとは決めないで「あれステキ!」と思ったらやり始めてみようと思うの。必ずしも編み始めたものが全部気にいるとは限らないじゃない。苦痛になっている時だってないわけじゃないんだもの」

いいこと言うじゃない。と思った私は

「プロジェクトバッグが必要よ。それぞれの編みかけのものをちゃんと巾着袋にしまっておかなくちゃね。パターンと一緒に」と言っておきました。そうしないとわけわからなくなりますからね。

そう、人生、楽しめる時に楽しむのがいいんですよ。自分に「こうあるべきだ」と課すのはもうやめましょう。

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やりたいことをやっておく

いつもやりたいことばかりやっている私がこういうタイトルで書くのも何ですが。。。

最近、友人たちに健康を害する人たちが増えているんです。一人は2年前に胆管癌を宣告され、手術、抗がん剤治療を受け元気になったものの再発し、現在抗がん剤治療中。しかしとても気丈で前向きな彼女は治療の合間をぬってお嬢さんたちと小旅行に出かけています。

また、別の友人は原因不明の胃痛に悩まされ1週間の入院。そろそろ原因がわかった頃かと思いますが、彼女から言ってこない限り聞くのはやめようかと。。。 なんでもないと良いのですが。

さらに今度は首の付け根から肩にかけての神経痛で左腕が上がらなくなってしまった友人、背中が痛くて病院に通っている友人、帯状疱疹の痛みをこらえている友人となぜか具合が悪い人が急増しているんです。いったいどうしてかしら? もちろん年齢もないわけではありません。かといってそんなに高齢でもないので夏の疲れが出ているのか、なぜかしら? と考えてしまいます。

私はおかげさまで健康に恵まれているので毎日を当たり前のように生きていることが多いのですが、このような友人たちの様子を見ていると心配であると同時に、自分も次の瞬間には何が起きてもおかしくないという事実にハッとさせられるんです。生きている私たちに確実なものなんてないのですものね。

となったら、やりたいことを身体とか時間が許してくれる時にやるしかない。あとで「あれもやっておけばよかった」とか「どうして、あのときにしなかったのだろう」という想いはしたくないですからね。今やりたいことを一生懸命やっておくということがひどく大切に思えます。「一生懸命」がここではミソです。ダラダラではなく、がんばる。

何がやりたいか? 編み物はもちろん、たくさん本も読みたいし、ピアノも上手になりたい(これがなかなかどころかすごーく難しい。まだまだ基礎の段階なのにここで足踏み。あ〜とため息です) 糸を紡ぐこともまだまだ。書くことも大好き。旅行だっていろいろなところに行きたい。と欲張りな私はやりたいことが次から次へと出て来ます。ただ、一生懸命やらなくてはならないから、そうそうたくさんのことができるかといったらそれはムリ。本当にやりたいことをいくつか選んで頑張るのも必要なのかなぁ。

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メジャーを持って右往左往

「Featherweight cardigan というHannah Fettigのデザインのカーディガンを編むのよ」と友人が嬉しそうにスワッチを編んでいました。

彼女は一昨年のクリスマスに胆管癌が発見され、手術、抗がん剤治療などを経て元気に復帰して来たんです。しばらくは編み物会に来てもあまり編む気力も出ずに少しおしゃべりして帰ったりしていましたが、今はすっかり回復してカーディガンにまで挑戦するようになりました。本当に良かった。

パターンを見ながらどのサイズを編もうかといろいろ考え込む彼女を見ながら、「じゃ、サイズ、測ってみようか」と立ち上がったのがもう一人の友人と私。

「さて、肩幅は、と」肩の骨をグリグリしたり、肩甲骨をゴリゴリしたり。

測った数字とパターンに出ている数字があまりにずれているものだから、「あれ、違うところを測っていたのかしら。じゃ、こっち?」

とまた、グリグリ。

肩の幅、腕まわり、脇の下から希望するすそまでの長さ、バストなどなどを混み合うカフェの中で測ってしまいました。あ、洋服は着たままですよ。もちろん。

測った数字を基にしてどのサイズを編むかというところになって、これがまた人間の体の面白いところで、ある部位はサイズMで良いけれど、別の部位はLの方がいい、他の部位はMとLの中間、とますます彼女は考え込んでしまいました。

でも、このパターンは前をボタンでとじないオープンカーディガンなので、そこまでサイズを気にしなくては良いのではないかという意見と、トップダウンだから編みながら試着して調整していけばいいのではないか、という意見が取り入れられ、とりあえずMで編むことに決定したのでありました。意欲を見せる彼女を見ていると一緒にいる私たちも本当に嬉しくなります。

「編み物会」と一口に言ってしまいますが、人それぞれにいろいろなことが起きます。嬉しいことは分かち合い、辛い時には励まし、応援しあい、笑ったり、愚痴ったり、私たちの人生の1ページのような気がします。(ちょっと大げさかしら?)

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編み物のような人生

今日は,母の叔母の納骨でした。お経を上げてくださったお坊さん(こういう名称で良いものか,チト不安です)の一人が,感慨深げに「栃木の高等女学校に行かれた方、いらっしゃいましたよね。ぼくも栃木出身なので,よくお話しさせていただきました」とおっしゃるではありませんか。そう,私の祖母なんです。祖母と話したのは,きっとお若いころだったのだろうと思わせる年れいの方。

海外に住む私たち夫婦はときどきお墓のことを話します。「さて、どうしよう?」と。子供たちはこれから先,どこに住むかなんてきっとわからない時代が来るだろうし,私たちはどこで人生を終えるのか。。。「でも,死んでしまった方がわからないよね」と軽口をたたいて会話が終わります。

しかし,今日,お墓の前で考えました。そんな軽い感情ですまされるものではない,と。真言宗ですから,お墓の前の石を取り除くと骨壺が並べられています。それを見ながらこんなことを考えてしまったんです。

「あら,あなた,もう来たの? もう少しがんばって生きていたら良かったのに」
「あ,お母さん、久しぶりね。」
「こんなところでまた会わなくてはいけないなんて思っていなかったわ」

なんて会話がもしかしたら,お墓に新しい人(?)が参加するたびにかわされているかもって。なんていうのかしら,この下に入ったときに、故郷に帰ってきたような気持ちになるのかもしれないって。

そこまで考えたとき,思い出したのが友人の話.彼女はご両親の不仲に頭を痛めています。お母さんが「私が死んだら絶対に,お父さんと同じ墓には入れないでね」と言ったそうなんですよ。「そういわれても困るのよ。」と友人。「母の気持ちもわかるけれど,かといって母が先に逝ったら父が承知するわけないし」と困り果てていました。

彼女のお母さんはご自分のお母様がいらっしゃるお墓に入りたいとか。うーん,ご主人とものすごい不仲ならその気持ちもわからないでもない。。。あのように整然と並んでいる骨壺を見ると,本当にそう思ってしまいます。しかし,子供にそういうことを託すお母さんの気持ちもつらいだろうけれど,頼まれた子供はもっとつらい。見送ることだけだってつらいのに。

いや,ここで「もっとつらい」なんて言葉は使ってはいけないのだろうな。母親の立場と子供の立場,まったく違った感じ方をするのだから比べること自体意味がないんですよね。

私たちの人生って気持ちを編みながら生きていくみたい。あるパターンを選んで編み始めるのだけれど、それまで気に入っていた色合いが急にイヤになったり,選んだ模様がその太さの糸では美しさを出せなかったり,あげくの果てには目を落としてやり直さなくてはならなくなったり。色がイヤになったからと言って投げ捨てるのではなく根気よく編み続けてみたら,「あら,思っていたよりステキなものができたわ」と思えるかもしれないし,そうではないかもしれない。それを心から感じられるのは編み続けてきた本人だけ。プロセスを知らない他の人にはまったくわからない経過があるんですよ。

そして,最後に編み上がったとき、「あー、よかった」と思えるのか,「早くやり直せば良かった」と思うのか,これもその人次第。「あなたの方が絶対に幸せよ」とか,「私なんかねぇ..」と意味がないだけでなく,言われている相手を傷つけているかもしれませんよね。

人生が終わるときに,自分を一番愛してくれる人が次の世の門で待っていてくれるとか。。私は主人より先に逝きたいけれど,でも,主人一人を残すのはとても心配なので,ここは考えどころ。きっと,私のワンコたち、Jamie そして,元気だけれど寿命から考えて先にイヤでも逝ってしまうであろうMuffin がしっぽをぶるんぶるん振りながら待っていてくれるのでしょう。彼らがけんかしていないといいけれど。。。

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