「用の美」

原田マハさんの「リーチ先生」を読みました。

その一部にこんな文章がありました。

『すると、濱田は、正直に言うけどな。。。と前置きしてから本音を語った。「いままで、陶芸は、書画とか油絵とか彫刻に比べると、どうしても劣るっていうか、芸術として隠したみたいな、そんな感じだっただろう?」柳宗悦は、「用の美」というけれど、「用」がある、つまり機能があって使われるものは、結局「道具」のようなもので、「芸術」ではない。そんな風潮は、どうしたってある。中略。芸術の方が工芸よりも上位だとか、芸術が工芸を支配するとか、そういうことじゃない。芸術も、工芸も、等しく価値がある。等しく美しい。等しく、人間の手による、人間のためのものだ。』

工芸と編み物を一緒くたにしてはいけないかしら? と思いつつ、同じ手作業でも編み物というと「おばあちゃんの手仕事」のようなイメージがつきものですよね。人の手によるものに変わりないのに、なんだか、古臭いような、野暮ったいという印象を与えがち。絵を描いたり彫刻などは確かにゼロから作者の感性で作り上げるもので、その作品の範囲は限りがないものですが編み物はそうはいかないかもしれません。それに、身につける、ということで「用」がどーんと先に立ってしまうのでしょう。

一度、人間が持ってしまったイメージはそう簡単に払拭できませんし、まぁ、作ったもので誰かが喜んでくれればいいかな、と思うのですが、この文章は常々私が考えていたことを見事に言ってのけてくださっていたので引用させていただきました。この本、とってもおもしろく、一気読みでした。

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何が芸術で崇高でというのも人間が決めていることですものね。

ソックス、片方ができあがったので写真を撮りました。もう片方、せっせと編みます。

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